OUT~30にして隠居す~

30にして脱サラし隠居したある男の話

なぜ隠居したのか

もともと田舎で暮らすのが夢であった。

といっても、農作業とかは興味がなく、リゾート地のようなところで悠々自適に暮らすのが夢であった。

30手前にして脱サラし、物販で起業することにしたが、この業種は実店舗を持たない限り田舎でもさほどデメリットはない。

ならばあえて嫌いな都会に暮らす必要はないと考え、隠居することにした。

今住んでいるところは、外に出ても人がほぼいない。たまに散歩している人がいる程度。人付き合いもない。まさに隠居生活である。

隠居して数年たつが、最初は夢のような日々だと毎日に感謝した。

しかし、時がたつにつれ、もろもろの不安が心に住み着くようになった。

一つは、現実的な話で、起業したものの収入が脱サラ前よりも低いまま低空飛行であること。

貯蓄が相応にあるため喫緊の問題は少ないが、やはり心理的劣等感を感じる。

フリーターと大差ない収入である現実を見ると、悲しくなる。

それでも、はっきり言って実労働時間でいえば一日2時間程度なので、時給換算で何とか自分を納得させ・・・ているわけにはいかない。いい加減、ビジネスモデルを変えていかないといけないかと思案中だが、またこれは別の話。

それよりも大きな不安は、ずばり、孤独死の不安である。

この年(30過ぎ)で孤独死か、と言われそうだが、実際問題、親が他界すれば早々に天涯孤独になる私にとって、孤独死は身近な存在だ。

そしてこの孤独死は、物理的な孤独死と、精神的な孤独死ダブルミーニング(アンフェアではない)を有している。

かつて子供を産みたくないと考えていた女性でも、30代になれば本能で子供が欲しくなるという説を聞いたことがある。

私も人付き合いは嫌いだし、友人など不要だと思っていた時期もあったが、昨今妙に人恋しくなることがある。だが、この田舎では、見かけるのは老人ばかりであるため、会話すら成り立たない。老人は無害なのでむしろ好きだったのだが、最近は少し飽きてしまった。なお、最も苦手なのは躾のなってない子供である(湯川学のように蕁麻疹は出ないがそれくらい苦手である)。

もしこのままここに住み続ければ、おそらく私は生涯独身で生涯孤独に暮らすのだろう。それを悪くないと考えていた時期もあったが、最近夢の中で妙にうなされる。このまま孤独に死んでいくのかと。

これが本心、いや、先述の本能なのだろうか。

昨日はショッピングセンターでひたすらに追いかけられる夢を見た。自身の年齢に追いかけられるのである。シュールである。ぜひ世にも奇妙な物語で映像化したいくらいだ。

 

私は歴史が好きだ。なぜなら壮絶な人生を歩んだ彼の話、his story、すなわちhistoryこそが歴史であり、なんだか少し安心するからだ。同時にドラマも好きだ。本ブログのタイトルでも借用したOUT、ギルティのようなサスペンス系も良いが、昔の人気ドラマ、王様のレストランやそれが答えだも好む。ただ、ドラマを見ていると、あまりの自身の人生のドラマ性のなさに愕然とし、泣きたくなることがある。

 

なぜ隠居したのか。時々考え込むことがある。

確かに自分で選んだ道だが、この道の先に待っているのは、どう見ても明るい人生とは思い難い。それでも、目前のことをすこしづつ改善していくしかない。そんな格闘をこれから綴ることになるだろう。

 

20代を捨てて得たもの、失ったもの

前述の通り私は20代を捨てた。

さらに言えば10代も捨てていた。内向的で目立たない生徒だったし、高校では受験に目覚めたがそれだけの話、楽しいことなど何もなかった。あえて言うなら模擬試験でトップクラスになり図書券をもらうのが楽しかった。

20代は、ただひたすら通勤をし、耐え、耐え、ただ耐え、安月給をすべて貯金した。飲み会などは一切いかず、交際も絶った。服も買わず、ひたすらに節約し、来るべき起業の時を待った。

一方で、大学時代にヤフオクビッダーズ(なつかしい)を愛用し数十万程度の貯蓄をしていた経験もあって、実家の不用品などをどんどんヤフオクで処分しコツコツとこれも蓄えに回していった。

また、いずれ起業するならば慣れ親しんだ物販が良いと考え、いくつかのサイトを運営していた(といっても月に一つも売れていなかったが)。

大学卒業と同時に開店休業になっていたが、もしかすると何年か続けていれば成長するかもと考え、家族にサイトを譲ることにした。

SEOにしてもブランド認知にしても、一朝一夕では成果が出ない。20代は捨てるとは言え、ただただ時が流れるのを待つのではもったいない。

上手くいけば、脱サラ後にサイトを返してもらうつもりであった。

 

結局、30手前にして、相応の貯蓄が生まれ、ある程度どんな分野でも起業できる程度の額となった。一方で、もともとなかった人付き合いをさらに絶っていったため、携帯のアドレス帳は自宅のみとなった。文字通り、20代のすべてを捨てたのだった。

 

こう書くと悲壮な感じになるが、10代からもともと捨てていたようなものなので、延長試合になったような感覚でさほど当人には刺激はない。

もはや感覚がマヒしているといってよい。

 

30手前にして隠居に至った経緯

もう隠居して数年がたつが、ここで改めて私が30手前にして隠居に至った経緯を書き記しておきたい。

そもそも私は幼少期は神童といわれ(いわれてない)、

なかなかよく勉強ができた(他のことは全くできなかった)。

進学校から東京の旧帝大に入り、周りは私の将来は約束されたとみていたに違いない(私も入学式の当日まではそう思っていた)。

しかし入学式の当日、あれほどまでに苦労して(といってもまともに勉強したのは高校3年の1年間だけだったが)入った大学に、こんなに多くの学生がいるのか(当然だろう)、こんなチャラそうなやつでも入れるのか(見た目で人は判断できぬものだ)、と衝撃を受けるとともに、己の姿を鏡で見て愕然とした。そこには、少しの勉強以外何もやってこなかった(何も他にできなかった)、外見も醜く性格も内向的でどうしようもない貧乏学生が映っているのだった。

この時の心情変化を、燃え尽き症候群と断じるのは容易だが、ある種の心理的「転調」が起こったと捉えたほうが良い。いわばそれまで受験勉強にさえ勝てばすべてが報われると自己暗示をかけ、その他の欠点に目を向けずにいた人間が、受験の終了により自身の余りあるコンプレックスに目を背けてはいられない状況に引きずり込まれたのである。

ある種、受験ができるうちは幸せであった。

その後の就職活動、社会活動において、私はオール1の成績になることは容易に想像がついていたため、私は入学式=自身の栄光の終了を意味することにその時遅まきながら気づいたのだった。

当時の両親はなぜ私が入学当初から大学を毛嫌いしているのか理解に苦しむ様子だった。当然だろう。だが、私にとってみれば、こちらもまた、当然だったのである。

4年間の大学生活で得たものは、東京の地理に少し詳しくなったのと、仕送りをコツコツ貯め100万ほど貯めたのと、あとはネットリテラシーが少し上がったことくらいであった。

就職活動はこんな私でもさすがに旧帝大ブランドで一次や二次選考はそこそこ通ったが、最終選考まで行って落ちるところも数社あった。短時間の面接での演技には自信があったが、それでもサークル一つはいらずの履歴を見ればなんとなくわかるのだろう、また、随所でぼろが出ていたのかもしれない。

それでもなんとか内定をもらい、大学の留年も免れ4年で卒業が決まり、就職することとなった。

しかし4年の3月くらいから私の気持ちは憂鬱で仕方なかった。昔から集団生活が極めて苦手で学校も嫌いだった私が、さらに長時間、よりシビアに集団に拘束される社会人生活になじめるとは到底思わなかった。一方、ビジネスや金儲けには興味があり、ブランドマーケティングなどの勉強も個人的にしていたので、むしろ自分で起業して生きていきたいとも思うようになっていたが、せっかくの内定を得た身に周りがそれを許すはずもなく、結局流されるままに4月1日を迎えた。

入社式の訓示を聞きながら、私はこの生活が40年続くことは懲役40年に匹敵、あるいはそれ以上の苦痛だと直感した。もともと高校、大学時代からのストレスで心身症であったこともあり、体調的にもこれを続けるのは自殺行為だと感じた。普通の人が苦も無く朝6時に起き帰宅は8時9時、といった生活を、私は送る体力も気力もすでになかった。怠け者といわれるかもしれない。しかし、もともと夜が苦手でロングスリーパーであり、受験期ですら毎日8時間寝ていた(昔は4当5落といい4時間しか寝ずに勉強したものが受験に合格すると言われたという)私にとって、社会人の忙しさと拘束時間の長さはありえないものだった。私は、早々に退職を決意した。

しかし実際に退職すると周りの風当たりはきつく、親は自殺するとまで言い始めた。まあ子供のあまりの凋落を目の当たりにし気持ちはわからなくもない。もともと過干渉な今でいう毒親であったため、家庭内で殺人すら起きても不思議ではなかった。

殺されるにはまだ早いと思い、再び就職活動を行い、別の企業に入ることになった。

そこは仕事の内容的にも楽で、拘束時間も定時上りが可能なところであったため、とりあえず数年は勤められるかと感じた。少なくとも前の企業よりはまったりできるところであった。それでも毎日が苦痛でたまらなかったが、考え方を変え、今は雌伏の時だと自分に言い聞かせ、私は20代を捨てることにしたのだ。

文字通り、20代を捨てきり、30手前にして脱サラした。

もう、親も周りも、諦めていた。

 

 

約10年ぶりにブログを再開する

ちょうど10年前、私は大学を卒業したのだが、ブログを始めたのはちょうど大学1年の頃であった。

当時は初めて家にインターネット環境が整い、またネット黎明期だったこともありブログやチャットなど手あたり次第試していた。

大学がつまらなく、準引きこもり(※家と大学を往復するだけの半引きこもり状態)で一人暮らしをしていた自分にとっては、ブログを通じてのコミュニケーションは大変に新鮮であり、少数ではあったがブログ仲間も生まれた。

それも大学卒業を契機に次第にブログなどやっている暇はなくなり、自然と広告がでかでかと自分のブログに表示されるのも知らないままに、ログインをすることはなくなった。

あれから10年がたち、今の私は時間的余裕は十分すぎるほどある。

なぜなら、30手前にして隠居したからだ。

都会の喧騒を離れ、片田舎で毎日を過ごしている。

かつては夢に見たような生活だったが、現実は迫りくる年齢と焦りにおびえる日々で、今朝も大層うなされた。

このブログは、例の大学時代、私が毎日愚痴ばかり連ねていたブログの第二部として、書き始めることにしたい。